補足情報
寛政9(1797)年3月晦日 長崎の遊女が“しょくらあと”を貰い請ける
長崎の著名な遊女町であった丸山町・寄合町の記録『寄合町諸事書上控帳』に、寄合町の遊女大和路が、出島の阿蘭陀人から貰い請けて届け出た品物の中に、“しょくらあと 六つ”の記載があります。これが史料に記された日本で最初のチョコレートです。
長崎出島の阿蘭陀人は帰国に際し、使い古した蒲団や道具類などを遊女に与えており、それらは当人に払い下げられました。『寄合町諸事書上控帳』は失われた部分も多く、この日以外にもチョコレートを貰い請けたり、届出をしなかったものもあったと考えられ、長崎ではチョコレートは異国の珍品として知られていたようです。
寄合町諸事書上控帳
寛政12(1800)年 「長崎聞見録」に“しょくらとを”が紹介される
寛政年間に2度、足かけ6年にわたり長崎に遊学した、医術や動植物に造詣の深かった京都の人廣川獬が、長崎滞留中に見聞したこと、調査したことを寛政9(1797)年に書きまとめ、寛政12年に『長崎聞見録』として刊行しました。紹介された多くの文物の中に、“しょくらとを(チョコレート)”があります。
長崎見聞録
慶應4(1868)年8月3日 徳川昭武がシェルブールでココアを喫す
1867年にパリで開催された万国博覧会に幕府代表として赴いた15代将軍徳川慶喜の弟の水戸藩主徳川昭武は、各地を歴訪後パリで留学生活を送っています。『徳川昭武幕末滞欧日記』に、この日フランス・シェルブールのホテルにて“朝8時、ココアを喫んだ後、海軍工廠を訪ねる”と記しています。文献にあらわれる最初のチョコレート(ココア)の体験で、江戸時代最後のチョコレートの記録です。